鹿毛康司さんが大事にする人の心から考えるマーケティング

「消臭力」CMの仕掛け人・鹿毛康司氏が実践する「心」をつかむ方法/ビジネス+IT

以前、マーケティングのプロである森岡毅さんについて記事にしました。

森岡毅さんが数学を基に理論でマーケティングを行う天才ならば、人の心が動く瞬間に着目したのが今回記事にする鹿毛康司(かげこうじ)さんです。

鹿毛康司さんはミゲルくんと西川貴教さんを起用した『消臭力』のCMで社会現象を巻き起こしています。

知識で対象できる限界を知った雪印時代

鹿毛康司さんは1959年12月に福岡県飯塚市に生まれます。高校時代は水泳に打ち込んで県大会3位に入賞するといった成績を収めるものの、学業は下から数えた方が早かったそうです。2浪して早稲田大学商学部に入学、1984年に雪印乳業株式会社(現・雪印メグミルク株式会社)に入社します。
最初に携わった仕事はワインの営業だったそうです。

マーケターへの憧れが高じて、1990年(31歳の時)にアメリカのペンシルべニア州にあるドレクセル大学にMBA留学をし、1993年にMBAを取得します。

MBAで学んだ知識でなんでもできると思っていたそうです。
2000年の6月に「雪印乳業食中毒事件」があり、被害にあわれたお客様のもとに伺う中で、お客様に喜んでもらって初めて企業が存続し、売上は単なる数字ではなく、「ありがとう」の総量であるということに気付いたそうです。徐々に信頼を取り戻し始めていた矢先、2001年に子会社で雪印食品で「牛肉偽装事件」が起こります。鹿毛康司さんは何かできるかとはないかという思いで「雪印体質を変革する会」を立ち上げ、お客様と座談会を行ったりとマスコミ対応をする中で企業人格の大切さに気付きます。

人の思いに触れて転職したエステー

2003年(42歳の時)に雪印を退職して転職活動をするも、年齢もあって転職エージェントに相談して面接を受けに行っても話がまとまりませんでした。そこで、自分の価値がわかってくれるのは社長だと方向転換をし、社長が面接を行う企業に7社受けてそこはすべて合格しました。
最初は断ろうという思いで出向いたエステーで、当時の社長である鈴木喬さんが役員会議を抜けて話に来られて、うちに来てほしいという思いを一番強く感じたこととこの人のもとで働きたいと思い入社を決意しました。

東日本大震災を機につないだ西川貴教さんとのご縁

鹿毛康司さんにとってマーケティングとは「モノを売ること」ではなく「人に向き合い、人に喜びを提供する活動」だそうです。
その思いでつくったのが、2011年の消臭力のCMです。

消臭力のCMと言えば、以前記事のも取り上げた西川貴教さんが出演しているおなじみかと思います。


2011年8月には日本で最も高感度の高いテレビCMに選ばれました。

2011年3月11日東日本大震災が起こった当時、鹿毛康司さんは沖縄県にいたそうです。特番放送がされる緊急時でも放送開始から48時間後には通常の放送体制に戻り、その時に広告主は既に入稿済みのテレビCMを放送するか、ACジャパンの公共広告に差し替えるかを決める必要があります。

鹿毛康司さんも東京に本社のあるエステーの社員とは連絡がつかなかったため、震災に向き合うスタンスを明確にするために、いったんは公共広告に差し替える道を選びます。

鹿毛康司さんは3/13になってようやく沖縄から東京に戻りましたが、翌日も輪番停電の影響で出社ができませんでした。そんな中、Twitterのタイムラインを見ながら、余震に対して怖いというつぶやきや、ACと震災報道しか見るものはないのというつぶやきなどがながれていたそうです。

幼い時に父親を交通事故で亡くした時に、その場で崩れ落ちた母親がどうにか前に進むために父親の葬儀では近所の方と笑いあってるのを思い出し、「日常にもどろう」をテーマにCMをつくることを決めます。そして誕生したのが、ミゲル君の消臭力のCMです。復興を目指す日本に向けてということで、かつて27万人いた人口の3分の1が亡くなり、85%の建物が倒壊するというところから復興を遂げたポルトガルのリスボンにて撮影を行いました。

ミゲル君のCMに反応したツイートをしたのが西川貴教さんでした。

ここからご縁がつながりコンサートに行き、鹿毛康司さんが楽屋に挨拶にいったときに、西川貴教さんが4/13の段階でアーティスト仲間を巻き込み、ライブの無料配信、チャリティーオークション、募金といった復興支援活動に動いていたことを知ります。広告主と出演者という関係でなく、1人の人間同士で何かを作り出せると感じた西川貴教さんにCM出演の快諾をいただき、現在までCMに出演し続けています。

かげこうじ事務所を設立

2020年に独立かげこうじ事務所を設立します。
鹿毛康司さんの趣味はマーケティングと言われたときに腑に落ち、企業に属すると転勤などもあるので、マーケティングだけをやりたいなら独立するのもありと考え独立。独立後もエステーの会長である鈴木喬さんから、軌道に乗るまでうちの仕事をそのままやってくださいよと言われ独立後もエステーとは一緒に仕事をされています。

相手の心に寄り添うマーケティング

鹿毛康司さんのマーケティングに関する考え方を知ると、知識というベースももちろん大事ですが、それ以上に相手やユーザーと向き合い関係を築いていくうえで、喜んでもらい、その対価として売上につながるということがすごく大事だなと感じました。

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