鈴木健氏がスマートニュースを成功に導いたプロダクトとチーム作り

前回はスマートニュースが目指しているものについて書いていきました。

今回はスマートニュースがユニコーン企業に成長した経緯について書いていこうと思います。

『Crowsnest』での失敗

2009年に鈴木健氏と浜本階生氏が出会い、2010年から1年半程度構想しながら最初のサービスである『Crowsnest』を開発しました。

当時はPCをターゲットにWeb上で読める媒体として、個人の興味上がることや趣味・嗜好にあわせてカスタマイズするパーソナライゼーション(Personalization)を目指していました。

サービス自体はTwitter(ツイッター)と連携することで、ツイッター上の話題やフォロワーの書き込みから情報を得て、注目度の高い情報を表示するというアプリでした。

浜本階生氏が代表取締役社長で、鈴木健氏が取締役、藤村厚夫氏が執行役員という3人で運営していました。

サービスの評価は得てはいたものの利用者数は伸び悩んでいて、資金的にも知名度を高める最後の望みをかけて2012年の3月にSouth by Southwest(サウス・バイ・サウスウエスト/SXSW)に参加しました。

SXSWは毎年3月にアメリカ合衆国テキサス州オースティンで行われるイベントで、1987に音楽祭としてはじまり、1994年から映画祭、1998年からインタラクティブフェスティバルというインターネット関連の技術祭典を範囲を増やしています。

2007年にSXSWのインタラクティブフェスティバルでTwitterが賞を受賞し、世の中に知れ渡るきっかけにもなったイベントです。

参加した結果は惨敗。

似たようなサービスがいくつもある中で、突き抜けた差別化できるポイントがなかったこと、iOS(iPhone)版のアプリをつくって持っていきましたが、当時WiFiの電波もあまりよくなく、会場でダウンロードもうまくしてもらえないという結果でした。

浜本階生氏の熱意により再スタート

元々はSXSWに参加してうまくいかなかったらやめようと話していた鈴木健氏と浜本階生氏でしたが、浜本階生氏がもう少し続けたいと前言撤回。

鈴木健氏は当時このまま継続しても成功する見込みはほぼ0(ゼロ)と考えていたようです。

ただ、浜本階生氏の熱意を感じたことと、1回乗りかかったことに対して自分だけ降りるわけにはいかないという信念で継続に踏み切りました。

専念してやる必要性があったため、資本金100万円を調達して再スタート。

その後、仕様に関しては大激論があったようですが、”やること”と”やらないこと”を明確に分けて下記の3点を意識した開発を行いました。

・アプリに特化
『App Store』や『Google Play』などアプリケーションストア経由でインストールできるネイティブアプリであることを制約にしたようです。
OS専用の設計をしているため、動作が軽いということがネイティブアプリのメリットです。

・ジェネラルニュース
100万人のユーザーを目指すにあたって、パーソナライゼーションしたニュースだと深い所には刺さるが同じようなコンテンツになりがちなため、一般的なニュースを取り扱うアプリに。

・オフラインでも読める
当時地下鉄内の電波が悪くスマホを触っている人はゲームをしている人がほとんど。ニュースを見ている人はほとんどいなかったそうです。
SXSWでのWiFi環境がないとうまく使えない経験も踏まえて、オフラインでも読めるニュースアプリにしました。

そして完成したのが、『ニュースどうぞ』。

通勤している普通のサラリーマンをターゲットに設定しましたが、浜本階生氏の周りには該当する人がいませんでした。鈴木健氏がインキュベーション事業をやっていた時の顧問税理士事務所の社長に依頼し、2012年の11月に10人のユーザーテストを実施。

ユーザーテストの結果から『ニュースどうぞ』の名前がまったくささらず『スマートニュース』に変更。新聞のように1日3回更新する機能にしたら分かりにくく、常に最新になるように変更するなどの仕様変更のすえ12月についにリリースされました。

『Crowsnest』が半年で数万人のユーザーだったのに対して、『スマートニュース』は1日でこの記録を達成しました。

投資家の力を最大限に活用したファイナンス

1日で数万人のユーザーがダウンロードし、初月で数十万人のユーザーにいたったスマートニュースはなんとお金をかけたプロモーション活動をいっさいおこなっていなかったのです。

代わりにやっていたことが、エンジェル投資家としてスマートニュースにかかわっていたメルカリ創業者の山田進太郎氏とディー・エヌ・エー共同創業者である川田尚吾氏と鈴木健氏の3人でのTwitterでの会話でした。

山田進太郎氏は当時15万人程度のフォロワーがいて、起業家では日本で最もフォロワーが多かったことも追い風になったようです。

投資を依頼する相手を誰にしようかというのは、信頼できる人ということで選ばれていたようです。山田進太郎氏や川田尚吾氏や本田謙氏は、鈴木健氏が元々インキュベーション事業を行っていた時に、一緒に仕事をしていた仲間だったようです。

一緒に仕事をしているからこそ、信頼して任せられることがあるなと思いました。

シリーズAラウンドの時には、サービスがヒットしたので色んなところから声はかかるようになったそうです。鈴木健氏は誰と一緒に仕事をするのかを大事にし、できるなら長期にわたって一緒に走れる人がいいそうです。

そんな、鈴木健氏が選んだのが株式会社グロービス・キャピタル・パートナーズのCOOの今野穣氏です。

チームビルディングにこだわったアメリカでの立ち上げ

鈴木健氏はうまくいった原因にチームビルディングに一番時間をかけたと話していました。

メルペイの創業者で当時はグリーの米国子会社社長だった青柳直樹氏から山田進太郎氏と共にアメリカ展開のアドバイスをもらった。

川田尚吾氏のつながりで元Ziff Davis Publishing CEOで米Pinterestの初期投資家であるWilliam Lohse氏を紹介してもらいスマートニュースのエンジェル投資家に。

青柳直樹氏から部長クラス(vice president/VP/ヴァイスプレジデント)から採用しろと言われ、2014年にRich Jaroslovsky氏を採用します。

実はRich Jaroslovsky氏はThe Wall Street Journalの政治記者を18年やっていて、その後世界で最初期のオンラインニュースメディア The Wall Street Journal Online を立ち上げたすごい方だそうです。

Rich Jaroslovsky氏もWilliam Lohse氏からの紹介でヘッドハンティングしてくれた方がみつけてきてくれました。
当時、Rich Jaroslovsky氏は元々スマートニュースのファンだったようで、鈴木健氏が一言も口説いてないけど面接した時から入る気満々だったそうです。

その後も順調に成長を遂げ、社外取締役にPlayStationの生みの親である久夛良木健氏なども参画し、2019年にはユニコーン企業入りを果たします。

久夛良木健氏もソニー・コンピュータエンタテインメント(現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)の元執行役員でスマートニュース常勤監査役だった西村茂氏からの紹介です。

人とのつながりが結果を生む

スマートニュースの立ち上げに色々な実績を持った優秀な人が、色々な立場から参画していますね。

優秀な人をチームに入れていくことに時間をかけたというのも要因の一つかもしれません。

それ以上にエンジェル投資家を、以前から一緒に仕事をしていた信頼できるコアな仲間を選んだからこそ、そこから紹介によって優秀な人がどんどん集まる組織になり、現在のユニコーン企業になるまでの結果をだした要因になっていると思います。

今ある仕事に熱意を持って取り組んで成果にすることで、信頼関係を築いてくことが今後の人生に大きく影響するなと感じました。

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