家入一真さんの引きこもりから起業家へ!すべての経験値をいかしたジョブチェンジ

家入一真の履歴書|ひきこもり、起業、上場、大赤字。天国と地獄を経験して分かった「失敗」の本質

最近は飲食などでもプロジェクトが立ち上がっていて、目にする機会も増えたクラウドファンディング。
今回は国内最大のクラウドファンディングであるCAMPFIRE(キャンプファイヤー)の代表取締役社長でもある家入一真さん。
シリアルアントレプレナー(連続起業家)としていくつもの、事業を立ち上げている家入一真さんについて調査してみました。

学生時代から二足のわらじ

家入一真さんは1978年に福岡県で生まれます。
中学の時に親友とけんかしたこをきっかけに、いじめにあい引きこもりに。
高校1年の三学期に出席日数が足りず進級できなくなる。そのタイミングで高校を中退しています。

その後大学入学資格検定(大検)現在の高等学校卒業程度認定試験(高認)を合格し地元の大学には合格したもののよりレベルの高い東京藝大に行くために、住み込みで新聞配達をしながら芸術系の予備校にいっていたそうです。

しかし、1年目はセンター試験の受け忘れ、2年目は試験の日の朝寝坊をした結果大学にはいかず就職することになりました。

仕事をしながらプライベートで没頭したウェブ制作

20歳の時にデザイン会社に就職。
新聞配達時に自分がいれていた折り込みチラシを今度はデザインする側として働きはじめました。
しかし、自分がカッコいい思って提案するチラシにはOKがでず、デザインの仕事ではあるものの想像していたクリエイティブな仕事とは違ったようです。

そんな中、新聞配達時の先輩に頼まれてホームページの作成をプライベートで開始しました。会社と違って自分がいいと思ったものをどんどん形に出来ることで夢中になって作業をしました。

デザイン会社は上司に威勢良く反発したものの、いたたまれなくなり「やめます」と置手紙をして10ヶ月で退職。

その後21歳の時に母親のつてでウェブ制作会社に再就職しました。ホームページの作成をできると思っていたのに、システム開発の部門に配属されプログラマーとして働き始めます。
納期前には2日徹夜3日徹夜なんて当たり前ですが、仕事は楽しくなっていったようです。
プライベートではネットで知り合った奥様となる女性からの文化祭のポスター作成の依頼や中国が開発した人型二足歩行ロボット「先行者」にはまりポータルサイトを立ち上げたりしていました。

子供が来出るタイミングで起業を決意

奥様が大学に入学するタイミングで同棲を開始し、入籍しました。入籍から2ヶ月したころに妊娠が判明。
妊娠のつわりがひどかった奥様をなるべく一人にしたくない。でも、新しく生まれてくる子供のために働かなければいけないという想いから自分で会社を立ち上げることを決意しました。

幼少期が貧乏だったため、お金がなくても幸せだという想もありました。ただ、お金の問題でご両親が離婚された時にお金があれば別の形で今を迎えられたのではと思うと、お金がなくても何とかなるとは言い切れなかったようです。

そこで、将来子供との時間を犠牲にすることなく、十分に食べていけるだけのお金を稼ぐ手段として思いついたのがレンタルサーバー業でした。
当時は起業すること自体は目的ではなかったですが、業者との契約するために法人化。
当時、合資会社が唯一資本金を少なく立ち上げることが出来たので、2001年22歳の時に合資会社マダメ企画として起業しました。
軌道に乗るまでは生活費を稼ぐ必要があったので、レンタルサーバーの立上とは別に個人でホームページ作成、システム開発も行っていたようです。

最初は『塩鯖サーバー』という命名でいこうとしたようです。しかし、奥様からのダメだしもあってすべてリニューアルし2001年11月に『ロリポップ』としてサービスを開始しました。
インターネットの普及とともに増えた若い女性のユーザー向けと顧客層を設定し、いくらならレンタルサーバーにお金お払うか、採算が合うラインはどこかを考えたうえで当時業界最安値の月額250円に設定しました。これなら学生もお小遣いから気軽に借りられるという想いもあったようです。

『2ちゃんねる』で非難にさらされながらも事業拡張

初期は自動化するための時間をさけず、すべて手動で運営を行っていました。
なので、家族と時間を過ごすために始めたはずなのにもっとも仕事に追われているという状態だったようです。

また、最安値なこともあったのか『2ちゃんねる』で詐欺師扱い、破産など同業者からの中傷も多くうけ、奥様から会社員に戻らないかと涙ながらに提案されたこともあったようです。

言いたい放題言われているのを見返してやりたいという想いで継続、前職の同僚が転職しようとしているという話を受けて、技術スタッフとして雇用、ネット友達だった佐藤健太郎さん(現GMOペパボ代表取締役社長)の就活のタイミングで社員2人目として雇用。

2003年に有限会社paperboy&co.(ペパボ)を設立して会社の拠点も天神に移しました。
社名の由来は、引きこもりだったところから、新聞配達員をしていた経験があって今があるという、家入一真さん自身が原点を振り返れるようにという想いもあったようです。

最年少でJASDAQ(ジャスダック)に上場

ユーザー数が業界最多の25,000人にまでなり、グローバルメディアオンライン(GMO)とライブドアからの資本提携の打診がありました。
ユーザーや社員のためになると考え、自社サーバーを持っていて半子会社化という提案だったGMOと2004年3月に資本提携を結ぶことの決定しました。
当時、「頑張れ」と言ってくれる人がいる一方で、「負債を抱えて、経営が行き詰った」などと負債などないのに間違った憶測を立てられることもあったようです。
株式会社paperboy&co.に名前も変え、2006年には500,000人にまでロリポップの申込者集が増え、年商も13億円にまでなりました。
2006年から20代最後の年である2008年まで上場したいという想いを計画にして、実際に2008年12月に最年少でJASDAQに上場しました。

複数の仕事を同時にこなしていたからこその起業

学生時代の予備校生と新聞配達員という家入一真さん。会社員として仕事をする中でも、プライベートで頼まれた仕事を楽しみながら技術を身に着けている点は、副業が当たり前になってきた最近でも通じる考え方ではないでしょうか。

会社だけでなく色んな経験値を得ていくことで、視野を広げていきたいなと思いました。

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