今回は現在上映中の細田守さんが監督を務める『竜とそばかすの姫』のプロデューサーであり、スタジオ地図の代表取締役でもある齋藤優一郎さんについて書いていこうと思います。
アメリカ留学で定まったプロデューサーとしての道
齋藤優一郎さんは1976年11月に茨城県守谷市で生まれ、高1の時にはアニメーションの世界に入ろうと決めていたようです。
インタビューで、
もともと僕は、宮崎駿監督と高畑勲監督作品が好きで、また鈴木敏夫プロデューサーに憧れて、この業界に入ったというのがあった。
【アニメスタジオの今と未来】スタジオ地図10周年企画・齋藤優一郎さんに聞く『竜とそばかすの姫』|現代を描き続けることで「変わらないもの」と「変わるもの」【連載第3回】/アニメイトタイムズ
と話しているので、高1(15歳)になる1991年に高畑勲さんが監督を務めた『おもひでぽろぽろ』がスタジオジブリから公開しているので、影響の一つになっているかもしれませんね。
1995年5月にアメリカに留学。当時日本のコンテンツは海外でブームになっていると言われていましたが、実際に現地に行くとレイティングによる制限など海外は日本以上に厳しく、作り手の想いや何を伝えたかったのかを伝えられていないのではないかと思ったそうです。
ちなみに、『もののけ姫』も日本では全年齢対象であるのに対して、アメリカではPG-13(13歳未満の鑑賞には、保護者の強い同意が必要)という指定を受けています。
そういった状況を知る中で、一番良い形で作品をつくり、世の中に送り出す。評価を経済的に作り手に還元して、また新しい作品を作るというプロデューサーの仕事につこうと考えたようです。
『時をかける少女』でメインプロデューサーとしての初仕事
アニメ制作会社マッドハウス(MADHOUSE)に1999年に入社。マッドハウスの創業に携わり、代表取締役を務めていた丸山正雄さんに師事し、『タッチ』の監督を務めた杉井ギサブローさんや『銀河鉄道999』の監督を務めたりんたろうさんなどの作品で丸山正雄さんと共にプロデューサーを務めた。
2006年に公開された細田守さんが監督を務める『時をかける少女』で初のメインプロデューサーを担当し、以降細田守さんが監督を務める作品のプロデューサーを手掛けています。
細田守さんは、1967年に富山県で生まれ、『銀河鉄道999』や『ルパン三世 カリオストロの城』に感銘を受け小学校の時にはアニメ映画の監督になりたいと思っていたそうです。その後、金沢美術工芸大学に在学し、映画サークルで映画を作成しながら、1991年に東映動画(現東映アニメーション)にアニメーターとして入社、1996年に演出試験を受けて演出家になりました。
1999年に『劇場版デジモンアドベンチャー』で初監督を務め、2000年に公開された『劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』で一気に認知度を上げました。同年にスタジオジブリに出向して、『ハウルの動く城』の監督として制作をしましたが、行き詰まり2002年に中止。東映復帰後に『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』の演出を務め、それを見た丸山正雄さんからのラブコールを受けて『時をかける少女』の監督を務めることになりました。
齋藤優一郎さんはメインプロデューサーとして任命される際に、丸山正雄さんから監督がやりたいことを出来る限りやって欲しいと言われ、任命時はそんなことは当たり前に感じていましたが、当時は経験の無さもあり、実際にやってみるとなかなか大変だったようです。
『時をかける少女』の主題歌『ガーネット』も奥華子さんに8曲作成してもらってようやく細田守さんの意に沿うものが出てきました。
一番最初に出来上がったのが、挿入歌になっている『変わらないもの』で、細田守さんは素晴らしい曲なんだけどED曲としてはこれは違うと話していたようです。
その後7曲作ってもらうも細田守さんからは違うと言われ、音楽プロデューサーからもいい加減にしろと言われる板挟み状態だったようです。
公開までの時間もあり、細田守さんに「タイムリミットなのでこの7曲から選んでください」と追い詰められて伝えたときに、細田守さんから
「映画が映画になろうとしているんだから、そこに全力を尽くすのが監督とプロデューサーの仕事ですよ。だから諦めちゃダメですよ」
【アニメスタジオの今と未来】スタジオ地図10周年企画・齋藤優一郎さんに聞く『竜とそばかすの姫』|現代を描き続けることで「変わらないもの」と「変わるもの」【連載第3回】/アニメイトタイムズ
と諭されて、もう一度頑張ってみよう、頑張ってもらおうとやってみた、その結果、次に出てきたのが『ガーネット』だったそうです。
緊急避難でスタジオ地図の立ち上げ
2010年ごろに恩師でもある丸山正雄さんが病床に倒れ、夜中に都内の病院に呼び出されてヤクルトを飲みながら「この会社、ヤバイからな」と伝えられたようです。
丸山正雄さん自身も1972年に虫プロダクションの経営危機をきっかけにマッドハウスに独立した経験を持っています。
虫プロダクションは手塚治虫さんが創設した、1963年に日本初の30分放送枠用のテレビアニメとして『鉄腕アトム』を制作している会社です。
当時、日本振興銀行の経営破綻に伴い、融資や債券購入などつながりが深かったマッドハウスの親会社である株式会社インデックスが大きな経済的損失を被り、その余波やマッドハウス自身も二期連続赤字など経営危機に陥っていました。
そんな中、制作中の『おおかみこどもの雨と雪』を作るためには、小さくても作品主義、作家主義で映画を作れる場所が必要と思い、2011年に立ち上げたのがスタジオ地図でした。
まだまだやっていないモチーフやテーマ、表現の可能性は無限に拡がっている。その可能性というフロンティアに向かって大海原に船出した冒険所たちのように主体性と覚悟、チャレンジ精神を持って挑んでいきたい。そして誰も見たことがない映画という新大陸を見つけて、その真っ白な大地に線を引いて地図を描いていきたいという想いで、名称をきめたようです。
また、ロゴも「凝ったものはいらない。ロゴはシンプルな明朝体の文字だけでいい」とし、
新聞や教科書、文庫本など一般的に公なものに使われることが多い書体である明朝体にしています。
たくさんの子どもや大人が一緒に集える公園のような「公共物」でありたい。
プロデューサーより―③世界最小の映画制作会社”スタジオ地図”その名前とロゴの書体に込められた想い/ 細田守とスタジオ地図の仕事
という想いがロゴにも込められているようです。
今年で10周年のスタジオ地図の今後
2021年に10周年を迎え、『竜とそばかすの姫』も興行収入59.5億円を突破し、細田守さんが監督を務める『バケモノの子』の58.5億円の記録を更新しました。
『竜そば』興収59.5億円突破 細田守監督の最高記録更新で記念ビジュアル公開/ORICON NEWS
一番良い形で作品をつくり、世の中に送り出す。評価を経済的に作り手に還元して、また新しい作品を作るという齋藤優一郎さんがプロデューサーする仕事が今後も楽しみですね。