以前、「【南場智子氏】女性初の経団連副会長の経歴とは〜前編〜」では、女性初の経団連の副会長となった南場智子氏がDeNAを立ち上げるまでの経歴を紹介しました。
顧客の一言がきっかけて起業に至った南場氏ですが、今回は実際にDeNAを立ち上げてから現在までの南場氏の経歴についてご紹介します。
社長の仕事は決めること
DeNAは、ソネットとリクルートの出資を受けて、1999年3月に立ち上がりました。
そして、ネットオークション事業「ビッターズ」を同年11月に開始します。
ただ、このネットオークション事業の立ち上げの際、開発されているはずのシステムが全く製作されていないというトラブルに見舞われ、当初の予定よりも大幅に遅れてサービスを開始することになります。
そこからは業界トップのヤフーを追いかける立場ながら、事業を拡大し、2003年度にはサービス黒字化を達成することになります。
その後は、さらにはモバイル分野での「モバオク」、「モバゲー」のヒット等で一気に知名度を上げます。
セキュリティ問題などにも見舞われますが、プロ野球の球団の買収など、IT業界に限らずさまざまな分野で新しい取り組みを行っていきます。
こうしたDeNAの歴史の中で、南場氏の価値観がよく現れているのが、立ち上げ前のエピソードです。
サービス名や出資比率について出資元の意向を反映できるようにと悩んでいた南場氏ですが、最終的には開き直って自分が良いと思う案を出資元の2社に提示したところ、両社とも「いいじゃない、南場さんがそうしたいなら、それが一番いい」という回答だったようです。
そしてこの時に「経営者の仕事は調整ではなく決めること」と学び、コンサルタント時代との仕事のやり方の違いを感じたようです。
当時では珍しかった「家族のためのトップ交代」
DeNAが立ち上がって12年後の2011年、南場氏は急遽、社長職を退きました。
理由は、夫の看病のため。
当時の経営者としては、「これからもっと業績を上げていく」という状況で、会社のトップを代わることは珍しいことでした。
それでも「唯一の家族である夫を支えるのは自分」と考えて決断したところに、南場氏の決断力が現れています。
また、自分がトップを代わっても事業が伸び続けられる組織作りができていたことに、南場氏のそれまでのチーム作りの凄さが現れていると感じます。
女性初、経団連副会長の就任
その後もプロ野球球団の買収など、世間が驚くようなことにも挑戦してきた南場氏。
2021年は経団連の副会長に就任することになりました。
かねてから就任のオファーはあったという南場氏ですが、かつての経団連が実質的に掲げていた「新卒一括採用」などが自身の考えと合わないとして、就任には消極的でした。
しかし、「新卒一括採用」などのルールを変えていった、経団連の前会長〜氏からのオファーを受け、就任するになりました。
自身の考えやビジョンを大切にしつつも、状況の変化を見て経団連の副会長という新しい仕事にも挑戦する姿勢に、南場氏の価値観が現れていると感じます。
DeNAを立ち上げてから現在まで、今なお様々な挑戦を続けている南場氏。
女性初、そして比較的新興のIT企業の代表として臨む経団連の副会長としての仕事はもちろんのこと、これからの取り組みにも注目です。