西川貴教氏のデビュー当時~「売れれば何でもいいのかよ」と言われた夜明け前~

ミュージシャン、作詞家、俳優、声優、タレント、ラジオパーソナリティ、社長業
とマルチな才能を発揮する西川貴教氏。
今回はミュージシャンとしてのデビュー当時について書いてみます。

売れなかったバンド時代

西川貴教氏がメンバーだったヴィジュアル系ロックバンドLuis-Mary(ルイ・マリー)は、大阪府で結成され1991年にメジャーデビュー。
西川貴教氏は灰猫(HAINE)としてボーカルを担当していました。

2年間頑張ってみたが鳴かず飛ばず。
一からデモテープ持って色んな事務所やレコード会社を一人で巡ったり、
紹介してもらいながら誰々に会ってみようみたいなことをやっていて、
当時は電車賃もギリギリで、終電を逃したときには渋谷から中野まで歩いて帰ったこともあったよう。

かばん屋さんで働いたり、工場で年越しそばの麵を並べる短期のバイトもしていたなんて今からは想像できないですね。

葛藤しながら始めたT.M.Revolutionというソロプロジェクト

浅倉大介氏がaccessを活動休止しソロ活動を行っているときに、西川貴教氏がゲストボーカルとして参加したことがキッカケになり、浅倉大介氏がプロデュースするソロプロジェクトとして1996年からT.M.Revolutionとして活動を開始。

西川貴教氏は子供のころ、クラスが変わるたびに”貴教=タカノリ”と呼ばれることはなく、お坊さんみたいな名前だねと言われてちょっと傷ついたりしていたみたいです。
タカシとか名前が3文字ならいいと思う程度にはコンプレックスを抱いていたそう(笑)

名前コンプレックスからスタッフに「西川貴教でいかないとダメですか?」と相談した結果、
「Takanori Makes Revolution」からT.M.Revolutionという本人でも今振り返ると謎の決定でデビュー。

当時はMr.Children、スピッツ、GLAYといったバンドブームや、藤井フミヤ氏や氷室京介氏のようにグループやバンドで活躍した人がソロで活躍していました。
ひとりでやってみないかと声をかけられた時も、バンドをやりたい想い、バンドで何ひとつ達成できていない自分が売れるのかという葛藤もあったようです。

『独裁 -monopolize-』でデビューして、『HEART OF SWORD 〜夜明け前〜』はTVアニメ『るろうに剣心』のED曲にも起用され、『るろうに剣心』で声優デビューもはたしています。

余談ですが『るろうに剣心』ってJUDY AND MARYの『そばかす』、THE YELLOW MONKEYの『Tactics』、SIAM SHADEの『1/3の純情な感情』などのロックバンドを起用するアニソンって、今は当たり前になっていますが当時としてはかなり斬新な試みだったと思います。
今でもカラオケでも歌っている人は多いのではないでしょうか。
年齢ばれないかが不安(笑)

「売れれば何でもいいのかよ」と言われた衣装

CDを2~3枚出して売れなければ終わる覚悟をしていたので、とにかく目の前のことを全力でやるしかないと思い日々を過ごしていたそうです。

“風に吹かれている人”『WHITE BRETH』


“ガムテープを巻きつけた衣装の人”『HOT LIMIT』

T.M.Revolutionを知ってる方なら、この衣装を知らない人はいないでしょう(笑)

当時、10代でバンド一緒にやっていた仲間からは
「お前も魂売ったな」「売れれば何でもいいのかよ」
とまで言われたとのこと。

どれだけいいものを作って届けているつもりでも、人の目に留まらなければ意味がないという想いもあったからこそ考え悩んだ末の結論だったと思います。

今では結果を出し周りの評価がついてきた事でこれはこれでアリと思えるようになったそう。
今では頼まれてもいないのに『HOT LIMIT』の衣装でライブをおこなうこともあります。

やりたくないことも周りから評価されるくらい全力でやってみる

調べてわかったことは、今でこそ好きなことをやっているように見える西川貴教氏。
デビュー当時はだいぶ葛藤しながらも、やりたいことかに関わらず目の前のことを全力でやってきたうようです。

全力でやって乗り越え評価された経験があるからこそ、様々なジャンルへ挑戦をし成功を一個一個納めていっているように感じました。

やりたいかどうかにかかわらず、目の前のことを120%でやっていく中で新しい自分、
自分が知らなかったやりがいを見つけていきたいです。

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