袴田武史(はかまだたけし)さんが日本の民間発の月面探索チームを率いた理由

日本初民間月面探査プロジェクト「HAKUTO/ハクト」/the Entrepreneur(アントレプレナー)

日本の民間発の月面探査チーム『HAKUTO』。
2007年~2018年にかけてGoogleが主催で、月面を500メートル以上走行し、高解像度の画像や動画データを地球に送信したチームが約2000万ドル(約26億円)の賞金を獲得できる「Google Lunar XPRIZE(GLXP)」に日本からの唯一の参加チームであった。
今回は、『HAKUTO』を率いた袴田武史(はかまだたけし)さんについて書いていきます。

宇宙とロボットへの憧れで志望大学を選ぶ

1979年に東京都で生まれ、小学校の時に映画『スター・ウォーズ』を見たことをきっかけに映画に登場するような宇宙船がカッコいいから作りたいと思うようになりました。当時はレゴブロックで再現しようとしたりしていたそうです。色んなものに興味を持ちロボットコンテスト(ロボコン)にも興味を持つようになり、小学五年生の文集には「ロボコンで優勝したい」と書いていたそうです。
そのころ、ロボコンに日本から出場していたのが東京工業大学だったので、東京工業大学への進学を目指すようになりました。東工大を目指し始めたものの、元々は勉強があまり得意ではなく、高校受験の時は東工大に入る学生を輩出しているような高校にはいけなかったそうです。
高校に入ってからは、授業は一切無視して、東工大に入るための勉強を独自に行い、結果は一浪しても東工大には入れず、上智大学の理工学部に入学しました。
結果は第一志望の大学には入れなかったものの、問題設定して解決していく能力が今も大きな力になっているようです。

夢をあきらめきれずに再受験

大学でロボット製作に近いことはできるかなと考えながらも、入学すると都心にあるキャンパスで1年間の浪人生活を開放するかのように遊びに関心がいってしましました。半年ほど大学生活を満喫する中、高校時代から一緒に勉強していた友人が九州大学の航空宇宙工学コースに進み、順調に目標に向かって進んでいることに焦りを感じ再受験に向けて勉強を再開。東京大学には落ちたものの、名古屋大学に合格しました。大学1年の成績を好成績で納め、二年の選択時に無事航空宇宙工学コースに進みました。しかし、日本の大学では最先端の研究はできましたが、細分化されていました。そのため、実際に宇宙船を作る方法については学ぶことができませんでした。
そこで大学院では全体が見渡せる航空宇宙システムの概念が学ぶためにアメリカに渡り、ジョージア工科大学大学院に入学しました。

『SpaceShipOne』のパイロットの講演会

大学で民間初の有人弾道宇宙飛行を競う『Ansari X Prize』で優勝した『SpaceShipOne』のパイロットによる講演会が開催されました。『Ansari X Prize』はXプライズ財団によって運営された、民間による最初の有人弾道宇宙飛行を競うコンテストです。袴田武史さんが、講演会を聞いて感じたのは、民間でも宇宙開発にチャレンジできるという確信だったそうです。
自分がエンジニアになるのではなく、エンジニアが効率的に働ける場を作ることを自分の仕事にしようと考え、コスト戦略を専門とするコンサルティング会社に就職しました。

結婚式での出会いからHAKUTOを率いる

コンサルティング会社で働く中で転機が訪れます。
JAXAに勤める友人の結婚式で、Google Lunar X Prize(GLXP)に参戦しているチーム『ホワイトレーベルスペース』の関係者と隣席になり、日本での資金調達を一緒にやらないかというオファーを受けます。
当時、袴田武史さんは必要な資金の額を自分が調達できる能力があるのか考えた末、オファーを受けないつもりでいたそうです。
数ヶ月後に『ホワイトレーベルスペース』のメンバーが欧州から来日し、日本で協力者を募るイベントを開催するから手伝ってほしいとオファーを受け、イベントくらいならという考えで、手伝いをした。その日の夜に、ローバーの開発を手掛けてきた東北大学の吉田和哉教授や欧州メンバーと飲む中で心が動き、プロジェクトの責任を持つために会社を設立しました。
試作月面車 (PM-2) の名称が”はくと” (「White Rabbit」) に決まり、翌年には活動拠点が日本に移動し、その年にチーム名も公式にHAKUTO(ハクト)に変更しました。

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