先日、ビジネスツールのChatworkを創業した山本敏行氏と山本正喜氏について紹介しました。
兄弟で事業を大きくしていた両氏ですが、兄で初代代表の山本敏行氏は、2018年に代表を退き、現在はエンジェル投資家として活躍しています。
今回は、そんな山本敏行氏の経歴や現在の活動を紹介していきます。
Chatworkへの事業一本化とシリコンバレーでの資金調達に見る判断力
山本敏行氏は、中央大学在学時のアメリカ留学中、2000年にChatworkの前身となる事業を立ち上げました。
当時はパソコン1台での立ち上げ、しかもITのスキルは大して持っていなかったなかでの創業で、ITのスキルは弟の正喜氏に協力してもらっていたと言います。スキルはないが「こういうものがあったらいい」という感覚に優れていた敏行氏は、中小企業のIT化支援の事業、そしてChatworkにつながるビジネスチャットの事業を手がけていきます。
ただ、ここで敏行氏は、会社の事業をChatwork事業に集中させる、という判断をします。
「少人数の会社にも関わらずギリギリ黒字の事業を複数抱えていても仕方ない」という考えからの判断だったそうですが、Chatwork事業自体の先行きも不確かな中、社内のリソースを集約していくという判断には、敏行氏の判断力が表れています。
その後、2012年には、海外展開のためにアメリカに進出します。
そこではシリコンバレーの文化に触れ、「世界で戦っていくためにはより会社を成長させていかなければならない」との思いから、2015年にはそれまでのこだわりだった自己資本100%の経営スタンスを手放し、ベンチャーキャピタルから3億円の資本調達をすることになります。
外部の影響を受けにくい様に自己資本のみで経営していたところから、企業の成長のために経営方針を一気に変えたところにも、敏行氏の判断力の高さが見受けられます。
「SEVEN」の立ち上げのきっかけは同じ高校出身の後輩、戸村氏
2018年にChatworkの代表を退いた後、敏行氏は、エンジェル投資家とスタートアップのマッチングを行う新たなコミュニティ「SEVEN」を立ち上げました。
きっかけは、共同で立ち上げた戸村光(とむらひかる)氏でした。
元々、2人は、敏行氏がアメリカに滞在していた頃に知り合っています。その後、戸村氏の起業の際に敏行氏がアドバイスをするなど、付き合いが続いていました。
ある日、資金調達をしたい投資家との繋がりが多い戸村氏と、経営者としての経験があり投資家として活動していた敏行氏が、「周囲の起業家のために何かできないか」と戸村氏が投げかけたところから、共同で「SEVEN」を立ち上げることになりました。
同じ高校の先輩・後輩とはいえ、15歳差の2人が手を組んでいることは少し驚きですが、「エンジェル投資家と起業家をマッチングすることで、日本の経済を盛り上げていく」というビジョンのもとに、両氏が手を組んでいることには、両氏の社会貢献への思いを感じます。
「SEVEN」のコンセプトに見る敏行氏の思い
敏行氏は「SEVEN」について、『スタートアップの予備校』と称しています。
「SEVEN」では、ベンチャー起業家と個人の投資家のマッチングを行なっています。
ベンチャーキャピタルなどの機関投資家を対象としていないのは、マッチング後に資金の援助だけでなく、投資家が持つ経営の経験も一緒に提供できるようにという考えがあります。実際に資金調達をしながら、経営のノウハウを学べるところに『予備校』と呼ぶ由来があります。
また、投資家向けのプレゼンを行なってから最短で14日間で投資を受けられる可能性があるなど、資金調達のためのリードタイムが比較的短いという特徴もあります。
これら2つの特徴は、どちらもマッチングした起業家が早く事業を大きくしていける様に、という想いに由来します。特に日本ではこうしたマッチングの場が少なく、「SEVEN」で行なっていることが日本の経済の活性化に繋がるというビジョンのもと、両氏は活動しています。
Chatworkの経営の第一線を離れてからも、自身の経験が将来の大きなビジネスに繋がればと行動する山本敏行氏の行動には、日本をよくしたいという想いが表れています。
これからの山本敏行氏の投資先に注目!!
山本敏行氏は、「SEVEN」以外にも、Chatwork時代から「谷上プロジェクト」という日本版シリコンバレーの立ち上げによる、日本経済の活性化を目指す活動にも参画しています。
エンジェル投資家となってからも、日本や世界を見据えたビジョンのもとに活動する山本敏行氏。
日本や世界をよりよくしたいというビジョンをもった山本敏行氏の活動に、今後も注目していきたいです。