日本を代表するホテルブランド群『星野リゾート』
旅行や結婚式で『星野リゾート』のホテルや施設を利用したことがある方、また旅行で行ってみたいという方は多いのではないでしょうか。
長野県軽井沢で開業した温泉旅館から始まり、今では高級ホテルブランド『星のや』や比較的小規模ながら上質な旅館のブランド『界』を持ち、海外進出も果たしている星野リゾートですが、その社長を務める星野佳路(ほしのよしはる)氏です
今回は、『エコリゾート経営のカリスマ』として文化庁の『観光カリスマ』にも選ばれている、星野リゾートの4代目社長、星野佳路氏の経歴や価値観についてご紹介します。
大学院留学後、すぐに家業を継ぐ〜星野佳路氏の経歴〜
星野氏は1960年、長野県軽井沢に生まれます。
幼いころはスピードスケート、学生時代はアイスホッケーに励み、体育会気質だったという星野氏。
アイスホッケー部のキャプテンを努めるなど熱心に部活動に励んでいましたが、「将来は家業を継ぐ」と決めていたこともあり、大学卒業するとアイスホッケーは辞めてしまいます。しかし、このアイスホッケーの部活動での経験も星野氏の経営者としての人生に大きな影響を与えることになります 。
慶應義塾大学を卒業後、アメリカのコーネル大学ホテル経営大学院修士課程へ留学しますが、この留学時の経験は後の星野氏にとって重要な経験となりました。
大学院卒業後の1989年、星野氏は一度、家業である星野温泉の副社長に就きますが、程なくして父親と対立し解雇されてしまいます。しかし、そこからシティバンク等でのキャリアを経て1991年に星野リゾート代表取締役に就任します。
「後継ぎ」ではなく「優秀な経営者」になる
「周囲から跡継ぎと言われることが嫌だった」という星野氏。
そのため、海外の大学院へ進学することにしますが、そこでの様々な人との出会いや学びを通じて、それまでは「後継ぎ」や学生時代の「優秀なアイスホッケー選手」が自身のアイデンティティに感じていたところ、「経営者という生き方が自分のアイデンティティになる」と思えたと言います。
また、ホッケー選手であれば、「毎日筋トレをし、そしてチームワークを磨く」というプロセスを踏みますが、優秀な経営者も同じプロセスを踏んでいくものと思えたことで「自分が優秀な経営者になると考えた」といいます。
そのため、帰国後、家業の副社長に就いた時、「優秀な経営者ならば」という視点で意見を出し、結果的には社長である父親と対立し解雇されることになりますが、そのこと自体、星野氏は気にしていなかったといいます。
経験がないからこその「教科書通り」の経営
星野氏の経営者としての考え方の特徴のひとつに「教科書通り」があります。
特に小さな企業においては経営者の原理原則に沿って経営判断をすることで大きな失敗を防ぎ、リスクを最小限にできる、と星野氏は考えています 。
また、経営の定石に沿って判断していることでいざという時にも思い切った判断ができると、星野氏はいいます。
実際に、「競争の戦略」(マイケル・E・ポーター著)など、多くの古典的な書物を読み、そして学んだ時には100%理論通りに実践することを徹底していました。
留学時に海外の経営理論に触れていたこと、そして「経営者としての経験が少ないならば、定石通りにやってみよう」という考えが星野氏にあったことが、今日の星野リゾートの長きにわたる事業拡大の基盤にあります。
今回は星野氏の経歴や社長就任当初の考え方について紹介しました。
次回は、この30余年の星野リゾートの根底にある星野氏が実践してきた考え方や理論について紹介します。